BOSHIN航海日誌 News & Topics
いしぶみの背中10
シリーズ いしぶみの背中
<発祥の地を訪ねて>
第10回 灯台発祥の地
再開発で大きく様変わりしたヨコハマ北仲地区の片隅、北仲橋の袂に北仲通北第一公園があります。その先端部に「灯台発祥の地」の記念碑が東を向いて立っています。 慶応2年に英国など諸外国と締結された江戸条約によって幕府は日本沿岸に灯台建設を行うこととなり、明治政府がそれを引き継ぎこの地に「燈明台局」を置き全国の航路標識を統括する機関となりました。明治7年3月には「洋式試験燈台」が完成し、昭和23年に海上保安庁燈台局として東京に移転するまで、80年にわたり日本の海上交通安全に大きく貢献しました。

【碑文】
交易船舶の安全のため、西洋諸国から灯台の建設を求められた明治政府は、外国人技師を招聘し、明治2年に灯台事業を担う役所として「燈明台(とうみょうだい)局」を、更に、明治7年には「燈明番」(いわゆる灯台守)の教育及び建設する灯台の試験調整を行うための「洋式試験燈台」を、ここ、横浜元弁天(現在の中区北仲通6丁目)に設置しました。「洋式試験燈台」の完成時には、明治天皇、皇后両陛下の行幸啓を仰ぐ栄誉にも浴した由緒ある地でもあります。
「燈明台局」は昭和23年、海上保安庁燈台局として東京に移転しますが、それまでの約80年にわたり、日本の灯台事業を全国展開し、また、最先端の西洋技術を習得した多くの灯台守を全国へ送り出すなど、まさにこの地を起点として、我が国海上交通安全の礎が築かれていきました。
この地が日本の近代化に大きく貢献した灯台事業発祥の地であることを後世に伝え、また、先人の偉業を称えるため、「洋式試験燈台」の基礎として使用していた当時のレンガをその証とし、記念碑を設置します。
平成27年3月 海上保安庁 第三管区海上保安本部

【明治のヨコハマ4灯台】
- 横浜灯竿 明治2年1月~明治37年3月31日
- 横浜北水堤灯台 明治29年5月16日~現在
- 横浜東水堤灯台 明治29年4月1日~昭和38年10月21日
- 本牧灯船 明治2年11月19日~明治41年9月22日
4灯台の痕跡をたどってみると、「横浜灯竿」は「象の鼻」の先端部あたりにあったと思われます。
北水路灯台(通称赤灯台)は健在ですが、陸上からの撮影が難しかったので見送りました。
東水路灯台は氷川丸に寄り添って共に第2の人生を送っています。
本牧灯船は明治の間活躍した船舶なのでこれも触れません。


この白灯台は昭和33年に客船「カロニア号」の衝突事故によって損傷し廃止されました。
現在は記念灯台として山下公園の「氷川丸」とともに第二の人生を送っています。

参考文献:「日本灯台史:100年の歩み」 海上保安庁灯台部編 横浜海上保安部HP 船の科学館HP
本稿の記事及び写真はすべて現地取材に基づいて作成しております。