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いしぶみの背中12

シリーズ いしぶみの背中

<発祥の地を訪ねて>

 

第12回 日本写真の開祖

 

馬車道・弁天通りに設置されている日本写真の開祖、 下岡蓮杖顕彰碑

円錐形の上部には、1839年フランスで発明された写真機「ダゲレオタイプ」のオブジェが飾られています。

 

馬車道付近には「記念碑」・「発祥の地」が数多く存在します。文明開化が花開いたそんな歴史が目に浮かびます。その中で、ひときわモダンなデザインのモニュメントに秘められたストーリーをご紹介します。

伊豆下田で生まれた下岡蓮杖は、絵描きに憧れて日本画を習っていたそうですが、開港後に下田に着任したアメリカ総領事ハリスに給仕として雇われ、ハリスの副官であるオランダ人通訳ヒュースケンから学んだ写真術に興味を惹かれました。その後、横浜に出てからアメリカ人写真家 ウイルソンと出会い、その助手からも写真術を習いました。

文久2年、帰国したウイルソンの写場を引き継いだものの技術、材料、資金ともに苦労の日々が続きましたが、おもいがけず資金を得て野毛の地に営業写真館を開業しました。ここがたちまち外国人に人気となり弁天通り5丁目に移転しました。

多くの弟子も設け、元治元年にはプリジェンスから石版印刷の技術を学び店は繁盛していましたが、慶応元年に店を閉じ、妻子を連れて下田に帰省しました。

明治元年には再び横浜へ戻り、馬車道通りに写真館を開業し、さらに支店も開業しました。その後ビリヤード場、石版印刷業、乗合馬車屋、を開業し、さらには牧場経営、牛乳販売も行っています。

明治8年に妻、美津が亡くなってから拠点を東京に移し、写真師から画家へと生業をシフトしていき、大正元年には日本の写真に対する長年の貢献により、東京府より木杯が送られ、同年、「富士超えの竜」の画や「琴棋書画図屏風」を制作しています。大正3年に「達磨画」を描き、同年3月に浅草の自宅で永眠されました。

日本における写真の開祖は長崎で開業した上野彦馬氏と横浜で開業した下岡蓮杖氏が「東西の写真開祖」と言われていますが、絵師に始まり絵師に終わった下岡蓮杖の生涯は開国の日本で逞しく生きた人生が写し出されています。

 

【野路山路分けてたどらむ色も香も清き蓮の根を杖として】

 

蓮杖の命名の由来とされています。

 

日本写真の開祖 下岡蓮杖顕彰碑

 

【碑文】

嘉永元年(1848)オランダから長崎へダゲレオタイプー式が渡来した。
弘化2年(1845頃)狩野派の青年絵師が、銀板写真に遭遇し、そして絵筆を折り捨て写真術習得の道へ歩み出した。この青年こそ、日本に写真師という職業を確立した日本写真の開祖 下岡蓮杖その人である。
蓮杖は、来日の外国人から湿板写真の機材を入手し、筆舌に尽くしがたい辛苦の歳月を経て、文久2年(1862)野毛に初めての写真場を開業し、その後、弁天通りに進出し、慶応3年(1867)太田町5丁目角地に「富士山」と「全楽堂」「相影樓」の看板を掲げた写真館を開き大繁盛をした。
数多くの門下生を育て、我が国に於ける写真技術の先覚者として近代文化の発展に貢献した。その業績に敬意を表し、文明開化の地、馬車道通りに写真師発祥125周年、日本写真の開祖 写真師下岡蓮杖顕彰碑を昭和62年(1987)建立をみたのである。
顕彰碑 下岡蓮杖顕彰碑建立実行委員会
碑文 横浜市写真師会設立百周年記念実行委員会
平成22年(2010)6月1日

 

カメラ本体部分

 

モニュメント背面

 

ガス灯の解説、向こう側には「牛馬飲水」

 

馬車道ストリート

 

ガス灯と馬車(床タイル)
 

参考文献:下岡蓮杖 日本写真の開拓者 国書刊行会 発行 

白墨の字 石渡重野 著

本稿の記事及び写真はすべて現地取材に基づいて作成しております。

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