BOSHIN航海日誌 News & Topics
いしぶみの背中 3

シリーズ いしぶみの背中
<発祥の地を訪ねて>
第3回 近代水道発祥の地
野毛山の峰、野毛山動物園隣の野毛山公園に「近代水道発祥の地」の記念碑があります。 この事業を設計、監督した英国人H・S・パーマーの胸像が横浜のまちを見守っています。明治20年当時、津久井郡三井村から野毛山浄水場まで延長44kmにわたり水道管が敷設され、サイホンの原理を利用して山頂に水をため、そこから市内へ給水していました。のち明治30年には山梨県道志村に水源を移し、現在に至っています。横浜市民が毎日いただいている「横浜のおいしい水」は先人たちのご苦労の積み重ねによって実現したもので、横浜のまちづくりの基礎として誇れるインフラの一つです。

明治20年(1887年)10月、日本最初の近代水道は横浜に誕生した。
当時の横浜は、埋立地が多く良い水が得られないため、長い間飲み水や伝染病に苦しみ、また大火事にも悩まされていた。
いつでもどこでも安全で良い水が欲しいという人々の夢は、この近代水道の完成によって実現された。
横浜の水道は、英国人H・S・パーマーの設計・監督によるものであるが、沖守固県知事をはじめ三橋信方(後に市長となる)、三田善太郎など多くの日本人の努力も忘れることはできない。
パーマーは、横浜のほかにも大阪・神戸・函館・東京などの水道計画に貢献した。
ロンドンタイムスへの寄稿など広い分野で活躍し、明治26年(1893年)54歳で没し東京青山墓地に眠る。
横浜水道創設100周年を迎えるにあたり、パーマー像をこの地に建て、先人の業績を讃え、明日への発展を願いたいと思う。
昭和62年4月 横浜市長 細郷道一
出典 ヘンリー・スペンサー・パーマーの像 記念碑碑文より
敬意を表して碑文をご紹介します。

野毛山貯水池メインゲート(入れません)

野毛山配水池(平成13年使用廃止)

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ここまでの記事及び映像はすべて現地取材に基づいて作成しております。
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創設当時の野毛山浄水場(明治20年)
この映像の出典:横浜市ウェブサイト「横浜水道アーカイブス」