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いしぶみの背中 5

シリーズ いしぶみの背中

<発祥の地を訪ねて>

 

第5回 ビール発祥の地

 

1870(明治3)年、アメリカ人ウィリアム・コープランドが横浜・山手の外国人居留地123番にビール醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」を設立し、日本で初めて産業として継続的にビールの醸造・販売を行いました。

1885(明治18)年、スプリング・バレー・ブルワリーの建物と土地は日本在住の外国人経営の会社 ジャパン・ブルワリーに引き継がれ、1888年(明治21年)に「キリンビール」が発売されました。

その後、1907年(明治40年)事業を引き継ぎ麒麟麦酒株式会社が設立。

1923年(大正12年)の関東大震災まで、この地においてビールを醸造しました。

 

昭和37年2月11日W・コープランド氏の命日に建てる 横浜ペンクラブ

記念碑碑文より

 

 

横浜山手本通りからビアザケ通りに入った住宅街の中の公園にビックリするくらい大きな石碑が建っています。

麒麟公園内にある石碑で、日本初のビール工場があった場所に建てられています。

想像した以上に巨大な存在感のある石碑に圧倒されました。

 

石碑の前には当時の工場跡から掘り出されたレンガを礎にした麒麟麦酒開源記念碑があります。
当時の工場の様子を垣間見ることができます。

 

隣の北方小学校の校庭になっているところには清水の湧き出る池があり、当時この地域は天沼と呼ばれていていました。
当時は横浜市の水道がまだここまで引かれていなかったので、井戸水を使ってビールがつくられました。
この井戸は1895年から1901年までビールづくりに使われていたものです。

 

1869(明治2)年、横浜山手46番地に日本で最初のビール醸造所が開設されたといわれるジャパン・ヨコハマ・ブルワリーがあった場所。 

 

ウィリアム・コープランドのお墓がある横浜外国人墓地 ノルウェー生まれのアメリカ人技師で、1902年に亡くなった後この墓地に埋葬されました。

 

 

日本のビールの父として名前が刻まれております。

 

参考文献:キリン歴史ミュージアム,日本のビールの発祥地(横浜・山手)探訪:スプリングバレー~ジャパンブルワリーへMaltheads

本稿の記事及び写真等はすべて現地取材に基づいて作成しております。

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