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いしぶみの背中9

シリーズ いしぶみの背中

<発祥の地を訪ねて>

 

第9回 ラグビー発祥の地

 

中華街の関帝廟通りに「日本で最初のフットボール(ラグビー)発祥地 横浜」と銘打った記念碑が建っています。記念碑の上にはラグビーボールの形をしたものがあります。

 

【碑文】

1866年1月26日、日本で最初のフットボール(ラグビー)クラブである横浜フットボールクラブ(YFBC)が、ここからほど近い山下町127番地でイギリス人を中心とする横浜在住の西洋人たちによって設立されました。ラグビー発祥の地、イングランドのラグビー・ミュージアムは、 このクラブを日本だけでなくアジアで最初のラグビークラブであるとも認定しました。
イラストは、イギリスの雑誌に掲載された横浜のフットボール(ラグビー)の試合の様子です。1873年12月に造成中の横浜公園でイギリス人たちがおこなった試合だと考えられます。当時のフットボールはラグビーとサッカーとが未分化のスポーツでしたが、このイラストや記録から現在のラグビーに近い試合だったことがわかります。

その後、1901年12月7日、横浜公園で慶應義塾のラグビークラブと横浜クリケット&アスレチッククラブ(YC&AC、横浜在住外国人のスポーツ社交クラブ)がラグビーの試合をおこないました。慶應義塾の学生たちはともにイギリス留学経験をもつ英語教師E・B・クラーク(横浜出身)と田中銀之助にラグビーの指導を受けており、国内で初めてのラグビーの試合をおこなった日本人は慶應義塾の学生たちだと考えられます。

このように1859年の横浜開港後にやって来た西洋人たちが横浜外国人居留地(現在の山下町・中華街や山手町)で楽しんでいたラグビーやサッカー、クリケット、テニス、競馬、野球などの西洋のスポーツは、やがて日本人の間にも広まっていきました。

神奈川県と横浜市の両ラグビーフットボール協会は皆様のご協力をいただき、ラグビーワールドカップ2019™の日本開催を記念して、この碑を建立しました。

 

2019年9月5日

「ラグビー発祥の地 横浜」記念碑建立協議会

監修:横浜開港資料館

 

記念碑のイラスト。観客にちょんまげ姿の男性や着物姿の女性がいます。初めて見るイギリス人達のスポーツに驚いたのではないでしょうか。

 

記念碑の裏側。ラグビー関係者の名前がずらりと並んでいます。

 

 

記念碑は山下町公園に設置されています。

 

日本ラグビー蹴球発祥記念碑

(少し足を延ばして日吉慶應義塾大学下田グラウンドまで取材に行ってきました。)

 

日本国内で初めてラグビーの試合は、慶應義塾の学生たちによって行われ、今もその伝統は守られています。

 

ラグビーは紳士のスポーツです。試合を観戦していると、観客が対戦相手の好プレーに拍手をおくったり、両チームの選手が試合終了後に握手をしたり、笑顔で話していたりします。試合が終われば敵も味方もなく、お互いの健闘を称え合い、感謝し、ラグビーを楽しんだ仲間として友情を深めるという精神が尊重されています。

 

冬はラグビーの季節。リーグワンもシーズン開幕しました。

発祥の地横浜で熱い戦いを観戦するのはいかがでしょうか。

 

参考文献:スポジョバ

本稿の記事及び写真はすべて現地取材に基づいて作成しております。

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